幸せな育児、むしばんだ幻聴 3カ月の長女抱き浴槽へ…
長谷文2017年11月13日11時35分
朝日新聞デジタル
■きょうも傍聴席にいます。
特集:「きょうも傍聴席にいます」
「生まれてきてくれてありがとう。少しずつお母さんになりたい」。そんな言葉を育児日誌につづっていた母親が、統合失調症による幻聴に悩まされ、生後3カ月の娘を浴槽につけて、殺害した。母親はどんな罰を受けるべきか。裁判員裁判で出された判決は。
10月23日、東京地裁の104号法廷。生後3カ月の長女に対する殺人罪に問われた東京都世田谷区の被告の女(39)の初公判が開かれた。女性は黒い服とジーンズ姿で出廷。裁判長に起訴内容について問われると、小さな声で「間違いありません」と認めた。
起訴状によると、被告は今年1月13日朝、都内の自宅マンションの浴室で長女(当時生後3カ月)を浴槽内の水中に沈め、窒息させて殺害したとされる。
公判から事件をたどる。 女性は2009年に会社員の夫と結婚。12年春ごろに統合失調症の症状が現れ、自らたてる生活音で隣人らが迷惑に感じていると不安に思うようになった。夫から通院を提案されたが断り、16年10月に長女を出産した。
出産前の女性の様子について、夫は検察側の証人尋問で説明した。
夫「周りから壁をたたく音が聞こえたと言っていました。物を置いたり、足音をたてたりしたら、反応して返ってくるようなことを言っていました。(私も)土日は一緒に居ましたが、音はわかりませんでした」
検察官「あなたは被告の様子をどう思いましたか」
夫「(妊娠で)かなりおなかも大きかったですし、音にすごく敏感になっているのかな、としか思いませんでした。だから『安心して』と言いました」
出産を挟んで幻聴は一時的に止まった。夫の証言からは、被告が当時、幸せそうに育児に取り組む様子がうかがえる。
夫「(育児が)すごくうれしそうで一生懸命やっていました。長女が成長するにつれて泣き声が大きくなると、早く泣きやむように一生懸命でした。ミルクをあげたり、おむつを替えたり。そのままにしていても大丈夫じゃないかと思いましたが、すぐ泣きやませようとしていました」
法廷には被告の母子手帳や育児日誌も提出された。それらには、被告が妊娠中から長女を「まるちゃん」と呼ぶなど、子育ての期待や喜びがつづられていた。
臨月。「もうすぐ、まるちゃんに会えるのがうれしい」
出生日。「生まれてきてくれてありがとう。少しずつお母さんになりたい」
産後1カ月。「天使みたいなお顔と手をしているの。ムギュッとしたくなる」
だが、産後2カ月を迎える頃、幻聴が再発。夫は証人尋問で当時の様子を説明した。
夫「長女の名前を呼ばれている、とか、通行人が長女の名前を言っていて、うわさになるように感じる、と言われました。(被告は)夜は2時間おきにミルクをあげていて、寝不足の状態だったし、疲労が蓄積している、と思いました」
法廷には、被告が当時、「声の主に伝えたい」と幻聴の内容を書き、夫に示したノートが証拠として提出された。
「長女の名前をたくさん言って広げないで。うちの子の人生があるんですよ。音が気になるなら直接言ってください」
「あまりうちの子の名前を言われると怖くなるのでやめてください」
「生活音を出すなと言われても、生活していると音が出てしまうので、ご迷惑をかけるかもしれませんが今後ともよろしくお願いします」
夫はノートを見た印象を検察官にこう答えた。
夫「最初は何を書いているのかわかりませんでした。誰かに抗議をしているような文面で、『(名を)呼ばれていることはないので安心して』と言いました」
検察官「それを聞いた被告の反応は」
夫「納得いかない表情でした」
近くに住む義母は時折、夫婦のマンションを訪ね、家事や育児を手伝った。遠方で暮らす被告の実母も顔を見せていた。夫も出産直後は、被告から「仕事に影響が出る」と言われて仕事に専念したが、産後2カ月ほどして、ミルクをあげるなど育児を手伝い始めた。
だが、被告の症状は悪化していく。被告人質問。
検察官「(産後約2カ月で)長女の名前を呼ぶ声はどのくらいの頻度で聞こえたのですか」
被告「1日に、1時間に、3、4回くらい」
検察官「長女の泣き声やあなたの生活音が周りに迷惑をかけているので、そのような声が聞こえると思ったのですか」
被告「はい」
検察官は事件の起きた1月13日までに2度、被告が夫の留守中に長女を殺害しようと試みたと指摘。事件2日前の11日には長女の首をひねり、翌12日にも海に飛び込もうと考えたが、海にたどり着くまでに泣き出すと困ると思い、断念した、と述べた。
被告「とにかく(長女の)名前を言われるのが怖かったし、長女が生きていけないのではないかと思い、死ねる方法を考えていました」
検察官「長女を死なせてしまいたいと悩んでいると、家族に相談しようとは思わなかったのですか」
被告「心配をかけないように、と思って、そういうことはしませんでしたし、思いつきませんでした」
裁判員も説明を求めた。
裁判員「知らない人から長女の名前を呼ばれて怖いことと長女の命を奪うことのつながりが見えてきません。どうして知らない人に名前を呼ばれるのが怖いと感じるのですか」
被告「知っている人以外に名前を言われることが、とてもおかしいことだと思っていました。だんだん追い詰められて、長女がもしかしたら誘拐されるのではないかとか思いました」
裁判員「命を奪う他に、手段は考えなかったのですか」
被告「その時は自分に出来ることを考えてしまっていたと思います」
別の裁判員は育児について質問した。
裁判員「育児は大変でしたか」
被告「少し大変なところもありましたが、幸せな気持ちでやっていました」
裁判員「大変だったところとは?」
被告「泣いている時どう対応していいのかわからず、なんで泣いているのかわからず不安でした」
被告は13日朝、長女を抱いて、仕事へ向かう夫を玄関まで見送った。ほどなく、長女が泣き出した。
その後の行動についての被告人質問。
被告「長女が泣き始めて、生きていけないと思いました」
弁護士「誰が生きていけないと思ったのですか」
被告「長女」
被告は、前日の残り湯がはられた浴槽で死なせようと思い、風呂場へ向かった。長女を毛布にくるみ、洋服を着たまま浴槽につかった。
検察官「浴槽での長女の表情は」
被告「泣いていました。小さな声でした」
被告は何度も両腕で長女を抱くしぐさをしながら、殺害後の行動を説明した。被告が答えながら涙を流したため、裁判官が尋ねた。
裁判官「あなたは検察官の質問に涙を流しました。なぜですか」
被告「その時のことを思い出して涙が自然と出ました。(長女が)お風呂につかった時のことを思い出して、泣いてしまいました。思い出すと悲しいことだったので、泣いてしまいました」
被告は長女を殺害後、自ら110番通報し、自首した。
鑑定人によると、女性は犯行時、疲れて精神状態が悪化していた。
検察官「長女との思い出はありますか」
被告「抱っこして歌い、家の中をぐるぐる回ってあやしてあげました。長女の(名を呼ぶ)声が聞こえるので生きていけないと、死なせないといけないと思いました。それが病気だからと思って、申し訳ない気持ちでいっぱいになって、どうしたらいいのかわからない気持ちです」
被告の夫は、被告に対する処罰感情を検察官に尋ねられ、小さな声で答えた。
「長女はすごくかわいかった。守ってあげられず本当に申し訳なかった。長女のことを思うと妻に刑罰で償って欲しいという気持ちは確かにある。ただ、妻が正常な状態に戻ってからしっかり考えたい」
検察官は論告で懲役4年を求刑した。統合失調症の影響で自分の行動の善悪を判断する能力や自らの行動をコントロールする能力が著しく劣っている「心神耗弱」の状態ではあったが、罪に問えない「心神喪失」ではない、と主張。「幻聴は殺害を命じるものではなく、(幻聴に)支配されていたわけではない」とし、夫の留守中に犯行に及んだこと、自ら110番通報したことなどをあげて、統合失調症の影響はあったものの、自分の行動を律し、殺害を避けることが十分可能だった、と述べた。「長女は最大の庇護者(ひごしゃ)である母によって殺された。抵抗出来ない乳児への極めて悪質な犯行だ」
一方、弁護側は「統合失調症の幻覚妄想が悪化し、極度な緊張状態だった。遺族が処罰を望んでいない」などと、執行猶予付きの判決を求めた。
10月30日、東京地裁判決。島田一裁判長は懲役3年執行猶予5年を言い渡した。
「長女が生後3カ月という短さでこの世を去った結果は重大だ。しかし、殺害を決意した原因は、統合失調症の幻覚妄想が悪化した中で生じ、長女を助けるためには死なせないといけないとの妄想に強く影響されていた。健常者に対するのと同様に強く責任を非難することはできない」
そして、執行猶予とした理由として、被告が自首したことや、服薬の結果病状が改善し、被告が自らの行為を理解しようとしていること、適切な治療を受けるために、夫や母親が協力すると述べていることをあげた。
判決後、会見に応じた男性裁判員の一人は「愛情を持って育てていたのが伝わった」と語った。1歳の子供がいる別の男性裁判員は「どの家庭でも起こりうる問題だと感じ、育児への姿勢を自戒した」と振り返った。(長谷文)
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