警察組織による「まとわり・集団ストーカー」の記録。特に「耳鳴り音」などによる直接身体に危害を与える攻撃と尾行・盗聴・盗撮などの心理攻撃について映像などを交えて説明してゆきます。追記や手直しの履歴は右サイドバー2段目にあります。

〈拡散願い〉 小松満裕さん・デッチ上げの公訴事実 (2018/9/23追記)

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小松満裕さんは現在、高知警察署留置場に長期拘留されている(6月14日逮捕)。容疑は「高知県迷惑条例第11条違反」である。起訴状には①〜③までの公訴事実が並んでいる。小松さんはこれを『警察・検察によるデッチ上げだ』と主張している。

公訴事実 

被告人は、正当な理由がなく、専ら、高知県警本部長である上野正史(当時52歳)に対する恨み、その他の悪感情を充足する目的で、① 平成29年6月10日午前6時22分頃、高知市鷹匠町*丁目*番**号所在の同人並びにその配偶者及び長女が居住する居宅北側路上に赴き、同所において「上野正史でてこい。こらー、直談判じゃ、出てこい」などと大声で怒鳴り ② 同日午前8時19分頃同居宅北側の路上に赴き、同所において「上野直談判じゃ、こらー」「雑魚をよこさんと、おまえが出てこい」などと大声で怒鳴り、③ 同月13日午前6時22分頃、同居宅から北方約80メートル(30メートルの間違い)の路上に於いて同居宅へ向け拡声器を用いて「県警本部長おらー」「県警本部長上野正史出てこい」などと大声で怒鳴った上、同日午前6時42分頃、同居宅北側路上に赴き同所において、「上野正史でてこい。」などと大声で怒鳴り、もって上記上野正史並びにその配偶者及び直系の親族に対し、不安及び迷惑を覚えさせるような行為であって、住居に押し掛け、かつ、著しく粗野及び乱暴な言動をすることを反復して行ったものである。

公訴事実にある6月10日と6月13日に何があったのか。

※現在小松さんは警官から名誉毀損でも追起訴されている。そのために名前は伏せ字とする
〈〉は小松さんの考え

6月10日(土)の行動


※以降は収監中の小松さんとのやりとりのため、意思の疎通が充分にできず、本人の記憶違いなど細かい食い違いはそのまま残してある。保釈された現在、当方の疑問も大分解消されたために追記する。曜日にも誤りがあり訂正した(2018年9月23日)

午前6時過ぎ、小松さんは日課となっている街頭宣伝のために“はりまや橋”に向けて自宅を出発した。お気に入りのカウボーイ・スタイル。細身のジーパンには派手な刺繍が入っている。愛用の自転車には拡声器とスローガンが書かれた墨筆のベニア板がくくりつけられ、荷台にぶら下げられたオレンジ色の、季節外れなハロウィン手提げ袋がひときわ異彩を放っている。 
 
2017年5月の連休明けに、先の軽犯罪法違反事件(本部長をなじるよさこい節の替え歌を本部長公邸の前で大声で歌った事件)の際に公邸近くに住む■■警視正の女房(警察職員)が被害者であると偽り、逮捕・起訴を幇助したことを内部情報から知ることとなった。

最初の街宣場所であるはりまや橋に向けて自転車を走らせる小松さんに■■の女房に対して何か言ってやろうという気持ちが起こった。しかし、本部長公邸の1本北の道に差し掛かった時に小松さんが毎朝通行していることを知ったうえで待ち伏せしていた△巡査を見かけたことから、声も出さず、自転車を停止させる事もなく、その場を離れた。待機するパトカーも近くにやってきたために手を振った。はりまや橋に直行し街宣活動を行った。〈公訴事実①②は「嘘」である。〉

※小松さんの話によると場所や時間帯は異なるものの、特に2017年の連休明けから似たような状況が繰り返されてきたとのこと。本部長官舎周辺は小松さんの通り道になっているため別の日の出来事と混同している。
 警官の供述調書では6月10日は待ち伏せしていたパトカーが自宅を出た直後の小松さんを職務質問し、官舎手前の交差点では待ち伏せしていた私服警官が片手を水平にあげ自転車を制止している。現場で小松さんは「パトカーを1時間もおらせて」と怒鳴ったとある。このころに続いた執拗なつきまといや暴力で追い込まれ、本部長に直接抗議をしようと自転車を停め、2分程度怒鳴った。この行為は防犯カメラに映し出されている。
 小松さん自身が撮影した警官による2017年5月11日の暴力の映像は2018年9月6日の公判で大型ディスプレイに流されたとのことである。


6月11日(日)

日中、競輪場前で演説を始めたらすぐに南署一台、高知署一台のパトカーが現れて制止した。そのために演説を打ち切り、天神橋に移動し演説した。その後、高知城に上って大手筋や歴史記念館に向かって“高校生を助けたい”の演説をした。また、同じ場所から南向きに本部長公邸に聞こえるように演説をやっていた。

6月13日(火)

午前6時20分過ぎ、本部長公邸の一ブロック北の道路を自転車で西から東に走行中、知事公邸手前の駐車場Aの入り口付近で、6月10日と同様、〇〇巡査が待ち伏せしていた。通行中にいきなり自転車の前に出てきて、右手で制止した。地点①(道路中央)で自転車を停止させた。

6月13日、小松さんの動き 上が北


N巡査は自転車を停止させた後、街宣装備である拡声器を勝手にいじっていた(別の日と混同)(6:22:03)いくつか言葉を交わした後、突然小松さんの腰ベルトを掴んで道路面にたたきつけた。腰を強打し、すぐには起き上がる事ができず、仰向けになったまま「何をしている」「これは暴力だぞ」と渾身の力を振り絞って叫んだ。その時、小松さんは県警幹部が最近の街宣に耐えきれなくなって、(N巡査に指示し)暴行を加えたと考えた。

N巡査は本部長公邸の台所から上野に見られることを恐れ、東側人家まで3メーター以上引きずった。たたきつけられた拍子にズボンのベルトが切れ、腰に打撲傷、そして背中に擦過傷を負った。これは特別公務員暴行陵虐罪である。

N巡査に抗議したが、らちがあかないので、時間貸し駐車場Bの中央を通り抜け(6:42:45)、上野宅の北側道路、駐車場側の道路(地点②)から上野宅の台所に向かって「上野正史本部長、おまえも部下の警察官の暴行を見ただろうが」「おまえも警察官だったら犯人をつかまえんか」と抗議した。
地点②まではベルトが切れていて、右手でズボンがずり落ちないように押さえていたために歩行に不便を感じたが、歩けた。

本部長の公用車から秘書役の警部が降りてきた。突然、腰の痛みを感じた。この警部に向かって「本部長に言え」「警察官の暴行現場よや」といいながら、痛みに耐えきれずその場に座り込んだ(7:09:23)

この頃には周囲にいた警官ら4人が出てきていた。
小松の右手にはY警部補、さらにその横が尾行役の〇〇巡査、左手には〇〇巡査がビデオカメラで小松を撮影していた。その後に交通部の尾行役が立っていた。この2人に対しても大声で、「暴力警察官を撮らいで、俺を撮ってどうしたいがなや」と怒鳴った。

〈だから、本部長上野がこの様子を知らないはずはない。〉

山内神社付近からパトカー二台、警官4名がやってきて、通行人や上野から隠すためにブルーシートや毛布で小松を覆った。

この時ブルーシートを持っていた警官が一日留置場に手伝いに来たので「あの時(6月13日)の事で、俺はここにおるがゾ」と言ったら、小声で「小松さん、コワイいね」「僕らあは、言われてやりゆうがやきネ」と言いながら、一日私の生活の手伝いをして帰った。地域課の警官らは全員が顔見知りなので4Aと呼ばずに「小松さん」と名前で呼んでくれている。

〈本部長上野正史には公邸前の道路から抗議をしたが、この日のN巡査の暴行についての抗議だけである。起訴状にある犯罪行為の理由は『上野正史(当時52歳)に対する恨み、その他の悪感情を充足する目的』というのは「創作」である。本部長上野は暴行を振るったN巡査と共同の責任を負うべき義務が発生している。よって小松満裕からの抗議は当然受けなければならない。これに対して本部長上野は、N巡査の現行犯逮捕と小松の救護措置という、警察官として当然取るべき行動がとれなかった。これは刑事訴訟法第189条2項に違反する。だが、上野はその出来事は知らないと言っている。〉

〈現場(地点②)には上野を含め11名の警官がいたが、全員が私が犯罪(迷惑防止条例違反)を行ったとは考えていない。誰もこの事実を小松満裕の犯罪とは認めておらず、現行犯逮捕もしていない。〉

小松さんは軽犯罪法違反事件以降、本部長公邸前の道路には近づいていない(実際はこの頃何度か近づいている。一連の騒動以前は近づいていないと話している)。

〈実況見分調書や実況見分写真にある状況は現場では起こりえない「虚構」であり、デッチ上げの証拠である。Y警部補、N巡査、上野正史本部長らの検面調書は嘘で固められている。虚偽告訴である。〉

■現場を離れる

このままではらちがあかないと、東に向かって歩き、県庁前を通り、高知県警本部に行き、警備公安部のKに事の顛末を話した。また、小松満裕への「尾行」「盗聴」「監視」という警察による「つきまとい行為」を止めるように申し出た。Kにはこのような直接的な暴力の行使では「街宣」は止めん。太陽政策はとれないか。「水心あれば魚心」だ。と話した。そして、再び現場に自転車を取りに戻った。

■現場に戻る

現場に戻ると、散乱していた自転車や装備(実際は自転車は無事。ここでも記憶の混同がみられる。2017年5月11日に私服警官によってマイクは引きちぎられ拡声器は壊されている。この時の衝撃が蘇り記憶を混同させたと思われる)は片付けられていた。自転車の前カゴには2~3枚の書類がのせられていた。自分のものでもないので、その場に捨て置いた。その後、自転車で高知警察署に抗議に向かった。

■高知署で抗議

高知警察署の生活安全課のM警部補と2~3人が出てきた。小松の訴えをはぐらかしながら、切れたベルトをペンチで直し「ほら直ったやいか(※ueuchiの説明、器物損壊でもなんでもない。ちょっとしたイタズラ。軽微すぎて被害とは言えん。)」などとはぐらかしていたが、この時まさに逮捕状請求、その他、翌日の逮捕の準備をしていたのだから、とんでもない(人を騙すために生まれてきた)子狸である。被害届についてもはぐらかされて出せなかった。
生活保護世帯(満額ではないが基礎年金分は出ている)の場合、病院に行くにも福祉事務所の許可がいる。逮捕が事件の翌日6月14日早朝6時30分なので、時間的余裕がなく診断書を取れなかった。小松さんは翌日の逮捕はないと考えて、その日一日の街宣を行い、家には午後6~7時に帰った。

自転車の前カゴに入っていた、この2~3枚の書類は、実況見分写真ではY警部補が犯人役(小松満裕の代役)の男に差し出している書類らしい。だが、Yとはその様な書類のやりとりはしていない。これはデッチ上げの証拠写真でしかない(Yが書類を渡そうとしたが小松さんは頑として受け取りを拒絶している。この場面は防犯カメラにも映っている)。また、犯人役の男が地面に両足を投げ出して座っている写真も、11名もの警察官に取り囲まれた上に、ブルーシートや毛布二枚によって市民の目から隠されている状況だったので、犯人役の男がその様な格好で座り込んでいる場面などは状況的に起こりえない。

〈これらの証拠の捏造はY警部補らの虚偽公文書作成等、同行使にあたる犯罪である。本人の立ち会いのない実況見分は無効である。〉

〈6月13日のN巡査の暴行傷害は、小松満裕の逮捕状請求に関わった高知警察署の生活安全課係長、M警部補も知っている。切れた小松のベルトをペンチを持ち出して修繕した。また、取り調べたK警部補も私の背中の擦り傷を見て、小松がN巡査から暴行傷害・器物損壊の被害に遭った事を知っている。現場に居た警官らも小松の被害を目撃している。〉

〈誰よりも、上野正史がよく知っている。その上で小松から「嫌がらせ」を受けた被害者であると検面調書で述べている。検事小泉桃子も小松の受けた暴行傷害などの被害を知った上で起訴した。〉

〈上野正史は単身赴任であり、小松から「迷惑」を蒙ったと被害を訴えているが、妻や長女は犯行日とされた6月10日、6月13日には高知にはいなかった。被害者は居なかったにもかかわらず3人もの被害者をデッチ上げた(真実かどうか不明)。〉

(当日のより詳しい記述は第三回公判を2017/12/7に控えているため、〈後日追記〉
青字は2018/9/23に追記 )

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