〈資料庫〉社会から理解されず、見過ごされ ――「慢性疲労症候群」患者の切実な声
※脳の炎症は電磁攻撃で作り出すことができる。私の全身の強い倦怠感は頭部、特定領域へのピンポイントの電磁攻撃によって起こされた炎症が原因と「現段階では」考えている。
「慢性疲労症候群」患者の脳の画像。黄色い部分に炎症が認められる(写真:国立精神・神経医療センター放射線診療部 佐藤典子部長提供)----------------------------------------------------------------------------------------------
2018/10/19(金) 8:00 配信
「慢性疲労症候群」。この病名からどんな病状を想像するだろうか。「疲れがなかなか取れない病気」をイメージするかもしれないが、実際は大きく異なる。突然、激しい倦怠感や疲労感、骨の痛み、微熱、頭痛、脱力感などに襲われる。それが数カ月から数年も続き、日常生活も困難になる。明確な原因は分かっておらず、治療法も確立されていない。日本の患者数は約30万人、重症者はその3割とされ、多くの患者は「怠けているだけじゃないか」といった心ない言葉を浴びてきた。重度になると、寝たきりになってしまう患者たち。彼らやその周囲で何が起きているのだろうか。(Yahoo!ニュース 特集編集部)
重症患者の「声」と「様子」
「慢性疲労症候群」は「筋痛性脳脊髄炎」とも呼ばれる。症状が進むと、光や音の過敏症になり、音のない、暗い部屋で寝たきりでいるしかない患者もいる。家族と一緒に住んでいると、廊下を歩く音や冷蔵庫を開け閉めする音も耐えられないケースがあるという。
今回の取材では、症状が比較的落ち着いている4人の患者に会った。取材に応じるため、何日も前から体調を整えてくれたという。その「声」と「様子」をまず、動画で見てほしい。
飛行機の中で突然の発症
東京都東久留米市に暮らす篠原三恵子さん(60)を訪ねた。玄関先には手押し式の大きな車いすが置かれている。チャイムを押して中に入ると、篠原さんは奥の部屋でベッドに横たわっていた。首を持ち上げるのも大変そうだ。
横たわったまま、「すみません、まだ食事を取ってないので、ご飯を食べてもいいですか?」と言う。
ヘルパーにチャーハンをスプーンで口に運んでもらう。のみ込む力が弱いので、時間をかけて咀嚼(そしゃく)する。
「慢性疲労症候群」の篠原三恵子さん。ヘルパーに食事を手伝ってもらう(撮影:オルタスジャパン)
篠原さんは1990年、32歳のとき、「慢性疲労症候群」を発症した。今は症状が落ち着いているという。発症したころは米国の大学で教育学を学んでいた。
「日本に一時帰国していて、アメリカに戻る飛行機の中でした。頭の中に濃い霧がかかったような感じを受けて、飛行機を降りるときには、頭が全く働かなくなって……。迎えに来てくれた友人の言葉も分からなくって。その晩から極度の疲労感が全身に広がって、発熱と全身の痛みで眠れない状態になりました」
発症直前、日本での篠原さん。2人の娘とともに(写真:篠原三恵子さん提供)
「慢性疲労症候群」と診断され、外出は全て車いすになった。思いがけない米国での闘病生活。10歳と8歳だった娘2人も一緒だったが、1人で子育ても勉強も続けた。冷凍食品や宅配ピザなどを利用して生活し、卒業も果たした。
発症の6年後に帰国し、篠原さんはそこで思いがけない現実に直面する。
「日本は医療が進歩していると思っていたので、もっといい薬とか治療方法があると思っていたら、とんでもなくて。アメリカでの診断書を持って、大学病院や都内の病院などどこに行っても、慢性疲労症候群を否定されました。診断書を見せても『そんなの関係ない』と」
篠原さんは、日本で一から検査を行うはめになった。
日本で待っていた病気への誤解
「慢性疲労症候群」であるかどうかは、血液や尿などの検査、脳の画像診断を実施しても判断は難しいとされる。既にこの病気になっていても、医療機関で一般的に行われる精密検査では数値として表れないからだ。
「いくつも病院を回りました。どこに行っても否定されて。そのうち精神的におかしい人だと思われるようになって、最終的には『身体表現性障害』だと言われました」
精神的なことが原因で身体的な症状が出ている、つまり、心因性の病気という判断である。
「何人ものお医者さんから『怠けているんだ』って説教されて。考え方とか、私の人格の全てが悪いから体がおかしくなるみたいなことを、です」
帰国直後の出来事を語る篠原さん(撮影:オルタスジャパン)
その間、篠原さんの症状はどんどん重篤になっていく。全身の骨が痛んだ。「氷を(体に)当てられると、痛くなりますよね? それが骨の芯から来ている感じです」。痛みが途切れることなく襲ってくるため、3〜5分で睡眠は途切れる。
やがて、座ることもスプーンを持つことも困難になった。37度台の熱も続いた。それでも医師は米国で診断された「慢性疲労症候群」を認めず、痛み止めや解熱剤を処方するだけだったという。
医者にも社会にも理解してもらえない
篠原さんは、大きくなった娘らの協力で病気に関する情報を集め、同じ症状で苦しんでいる患者たちと交流を始めた。そして2010年、理解ある医師らの協力もあって患者会「慢性疲労症候群をともに考える会」を立ち上げ、そこで出会った医師にようやく「慢性疲労症候群」と診断された。
帰国から既に14年が過ぎていた。
リクライニング式の車いすに乗る篠原さん。外出時にはこれが欠かせない(撮影:オルタスジャパン)
この病気が医師にも社会的にも理解してもらえない難しさ。その現状は今も大きく変わっていない。
篠原さんは言う。
「とにかく深刻さを理解してもらえない。お医者さんからも行政からも、ひどいことを言われ……。患者会を立ち上げるまでは、病名を隠していました。例えば、お医者さんに会うときは、何日も前から体調を整えるわけです。(通院で)その後、どっと疲れて1〜2週間は寝込む。でも、家族以外には本当に具合の悪い状態は見えない。お医者さんが知っている姿は、この病気の本当の姿ではないんですよね」
取材を終え眠りにつく篠原さん(撮影:オルタスジャパン)
13歳から2年間の検査入院
東京都葛飾区の近藤銀河さん(25)は現在、東京芸術大学の3年生だ。13 歳だった中学2年生のときに体の異変を感じ、その6年後に「慢性疲労症候群」と診断された。
近藤さんには「光過敏症」もある。自宅の部屋は薄暗く、壁には自ら手掛けた美術作品が飾られている。ベッドの周りには、本が積み上がっていた。すぐに手に取れる近さだ。
取材の日、近藤さんはベッドで小さな呼吸を繰り返していた。
近藤銀河さん。取材は細かい休憩を挟みながら行われた(撮影:オルタスジャパン)
近藤さんは中学2年生での発症後、大学病院で2年間の検査入院を強いられた。横になったまま、小さな声を漏らすように答えていく。全身の細胞が重力に押し潰されるような疲労感がずっと続いているという。
「マイコプラズマ肺炎にかかって。2週間くらいでウイルスは減少して肺炎は治ったのに、体のだるさや倦怠感が改善せず、これは何なんだろう、って」
小児科から精神科まで、あらゆる診療科で検査した。それでも異常は見つからない。
そんななか、母の万貴子さん(56)は、医師同士の言い争いを幾度となく目にしたという。医師たちは「小児科では何も悪いところがないから精神科で原因を見つけてくれ」「なんでもかんでも精神科に持ってくるのはやめてくれ」などと責任を押し付け合うようだった。
発病前の近藤さん。小学生のときの家族旅行で(写真:近藤銀河さん提供)
「お母さんのせいでは」と言われて
取材の前、娘の銀河さんは「母が取材に応じれば、あのころのつらいことを思い出して苦しむので」と語っていた。取材に同席した万貴子さんはこう振り返る。
「『お母さんが甘やかしたから、学校に行きたくなくてわがままを言っているんじゃないですか』と言われたり、『虐待した心当たりはありませんか。胸に手を当てて思い出してみてください』と言われたりしました。私が悪いことをしたから、それが(心の)傷になって動けないのかな、って思って。でも、自分には『虐待は絶対にしていない』という思いがありました」
部屋のベッドで横になる近藤さん(撮影:オルタスジャパン)
近藤さんの部屋。自らの作品を飾っている(撮影:オルタスジャパン)
なんの異常も見つからないまま、検査入院を終えた銀河さんは、高校に進学せず、自宅で療養を始めた。「慢性疲労症候群」の患者会代表になっていた篠原さんの新聞記事を見つけたのは、そのころだ。
「もしかしたら、自分も『慢性疲労症候群』ではないか」と思い、患者会に連絡を取った。そして、「慢性疲労症候群」を診断できる名古屋大学医学部附属病院の医師を紹介してもらった。万貴子さんは「長い長い真っ暗なトンネルからやっと出られたという感じがしました。病名が分かって本当に良かったです」と打ち明ける。
展示会に向けデジタル作品を制作する近藤さん。作業はいつもベッドの上(撮影:オルタスジャパン)
「慢性疲労症候群」は1988年にアメリカ疾病対策センターにより提唱された、比較的新しい疾病概念である。日本では、91年から厚生省(当時)の研究班が発足。99年に全国的な患者の調査に着手した。その病名のためか「疲労が原因の病気」という誤った認識が、当時から広まっていた。(※注)
「慢性疲労症候群」に対する知識や理解はなぜ進まないのだろうか。
理由の一つは、血液検査やCTスキャンなど一般的な精密検査をしても異常が見つからない点にある。病理検査の数値や画像解析では、この病気を判定できないのだ。
したがって、日本では現在も「強い倦怠感を伴う日常活動能力の低下」「活動後の強い疲労」「認知機能の障害」といった6項目の特徴を見極めて診断するほかない。しかも、ストレスや心因性要因で生じる重度の「うつ症状」と酷似していることなどから、診断は難しい。
「慢性疲労症候群」を研究している研究者や医師も少なく、専門的に診察している医師は全国に十数人しかいないとされる。神奈川県の内科医、澤田石順(さわだいし・じゅん)さん(56)はその1人だ。
「身体障害者手帳」の取得に壁
澤田石医師のもとには、「慢性疲労症候群」と診断された全国各地の患者から診察の依頼がある。身体障害者手帳を取得するために必要な医師の「意見書」を出してもらうためだ。
慢性疲労症候群の患者にとっては、まず動くことが難しい。身障者手帳の取得によって医療費助成などの支援を受けることができるかどうかは、大きな問題だ。しかし、そこにも壁が立ちふさがっている。
身体障害者手帳(撮影:オルタスジャパン)=一部を加工しています
澤田石医師は言う。
「身体障害者福祉法に基づく指定医の意見書には、障害の程度を検査に応じて記入するのですが、(この病気に理解のない指定医に依頼すると)病名を見ただけで、拒否されるケースが非常に多いんです」
澤田石医師はこれまで、慢性疲労症候群の患者60人以上に意見書を出してきた。
「手帳の交付は本来、病名で判断するのではなく、障害の程度によって認定するものです。しかし『慢性疲労症候群』は、指定医であってもめったに出合わない。何をどう検査したらいいのかの知識がないですし、初めて診る疾病だから記入にとても時間が掛かります。患者さんが一見さんで依頼しても、断られるのはある意味、仕方ないことかもしれません」
澤田石医師が記入した「身体障害者手帳」取得の意見書(撮影:オルタスジャパン)=一部を加工しています
「障害年金」の申請が却下される
この病気に対する理解の乏しさは、「障害年金」にも及んでいるという。その実態を取材するため、今度は栃木県宇都宮市に足を運んだ。
網美帆子(あみ・みほこ)さん(44)は6年前から慢性疲労症候群を患っている。「昨日とおとといは体調が最悪で、今日は午前中に注射を打ってきました」。そう言うと、ベッドに横になり、目をつむったまましばらくじっとしていた。
網美帆子さん。カメラの前で目をつむり、しばらくじっとしていた(撮影:オルタスジャパン)
病気になる前は工場で派遣社員として働いていた。今は無職。父(79)と母(75)と一緒に暮らしている。
網さんは、澤田石医師に意見書を書いてもらい、「身体障害者手帳」の交付を受けた。それにより、毎月約2万円の「重度心身障害者手当」を得ている。収入はそれだけ。保険外の治療や薬は高額なため貯金を使い果たし、生活は親の年金が頼りだという。
問題は「障害年金」の申請時に起きた。
国民年金法などの規定によると、障害年金の申請では、その疾病と因果関係があると考えられる最初の診察にまでさかのぼった日を「初診日」とする決まりだ。網さんの場合、それは6年前。仕事中に倒れて病院に行った日から、今の症状は続いている。そのため、普通に考えれば、6年前のその日が「初診日」だ。
結果は違った。日本年金機構は網さんの申請を「却下」したのである。網さんはこう訴える。
「『慢性疲労症候群』と確定診断された2年前が『初診日』だと言うんです。この病気は診断が難しく、6年前の診察との因果関係は認められない、と。でも、慢性疲労症候群なんて、6年前のそのとき、誰が診断できたでしょう?」
網さんの部屋には、ジャンパーやポスターがある。病気になる前は、バンドの追っ掛けをやり、自分でバンド活動もしていた(撮影:オルタスジャパン)
「障害年金」の申請を却下された結果、年間約120万円(試算)を受け取ることができていない。このため、網さんは再申請の準備を始めた。「障害年金」の支給は、その障害に関する診療開始日を起点として計算される。網さんの主治医が「障害に関する初診はあの日だった」と考えても、そのときの症状は障害と無関係だと日本年金機構に判断されたら、「障害年金の初診日」にはならない。
網さんは、自分の倒れた6年前を「初診日」として認めない行政の判断にどうしても納得できない。慢性疲労症候群の患者団体などによると、網さんのような「初診日」の認定問題によって、経済的に苦しむ患者は少なくない。
網さんは言う。
「私も(経済的に)限界がきているので……。再申請でもダメだったら、訴訟もしたい。裁判ができるのであれば、『初診日』について闘っていこうと思います」
網さんの「慢性疲労症候群」の診断書(撮影:オルタスジャパン)=一部を加工しています
原因は「脳の炎症」と「免疫系の異常」
「慢性疲労症候群」は、確立した治療法が現在もない。症状の緩和に有効とされる方法はいくつか試されているが、どれも長期的な効果は薄く、普及していないという。
国立精神・神経医療研究センターの神経研究所特任研究部長で、神経内科が専門の山村隆医師(63)は、「慢性疲労症候群」の原因解明で先端的な研究を手掛けている。
「『慢性疲労症候群』は、単なる疲労の状態を示すものではありません。最近の研究では、脳の中で何らかの炎症が起きている、ということが分かってきました。それが、さまざまな症状を引き起こしている、そこに疲労のようなものも含まれている、と。原因の根っこには、免疫系の異常があると考えています。引き金はいろいろですが、特定のウイルス感染、あるいは咽頭や扁桃の炎症ですね」
「慢性疲労症候群」の研究成果について語る山村隆医師(撮影:オルタスジャパン)
山村医師によると、10年前には研究の手がかりさえなかった。それが、「脳の炎症」と「免疫系の異常」という原因が分かってきたため、免疫系と脳の炎症の研究者が積極的に研究を進め始めている。今後は、画期的な診断法や治療法が見つかる可能性があるという。
「研究はとにかく始まった、と。ただ、決定的なレベルのものが出ている段階ではないんですね。治験には時間が掛かります。私たちがその成果を手にして患者さんに届けられるのは5年先かもしれませんが、私の感覚では夜明け前です」
「慢性疲労症候群」患者の脳の画像。黄色い部分に炎症が認められる(写真:国立精神・神経医療センター放射線診療部 佐藤典子部長提供)
【文中と同じ動画】
(※注:追記)
初出時「日本では、99年から厚生省(当時)の研究班が調査に着手した。ところが当時は、生活ストレスによる病態だと考えられていたため、しばらくは「ストレスを原因とする疲労の病気」として研究が進んだ」としていましたが、より正確性を期すために文章を修正しました。2019年4月2日追記。
[制作協力]オルタスジャパン
[写真]撮影:オルタスジャパン
提供:篠原三恵子さん、近藤銀河さん、
国立精神・神経医療センター放射線治療部 佐藤典子部長
この記事へのご感想やご意見、または「Yahoo!ニュース 特集」で今後取り上げてほしいテーマをお寄せください。
登録:
コメントの投稿
(
Atom
)
0 件のコメント :
コメントを投稿