警察組織による「まとわり・集団ストーカー」の記録。特に「耳鳴り音」などによる直接身体に危害を与える攻撃と尾行・盗聴・盗撮などの心理攻撃について映像などを交えて説明してゆきます。追記や手直しの履歴は右サイドバー2段目にあります。

〈資料庫〉民事介入利権 土地トラブルへの介入

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警視庁調布署地域課の元警部補、松川光正の場合

(ポリス・アンダーワールド 住谷 礼吉)より 
 警視庁調布署地域課の元警部補、松川光正容疑者(当時五八歳)が、2000年3月8日と3月30日、警視庁捜査二課に逮捕された。
        
 東京都多摩市内の土地を巡るトラブルで、有利な取り計らいをした見返りに、不動産会社社長から現金250万円を受け取った事犯だった。さらに、山口組系暴力団幹部から現金6000万円を要求された恐喝事件処理で、被害者に便宜を図って現金120万円、両方で計370万円を受け取っていた収賄容疑である。
 すでに懲戒免職となっているが、警視庁に松川ありといわれたほどの切れ者で、不動産業界にも、ヤクザにも顔の大物刑事だったことから、この事件の反響と波紋は広がっていった。
 
 まず、警視庁捜査二課が摘発した多摩市内の土地の競売妨害事件に絡んだ贈収賄事件の内容は次のようなものだった。
 2000年3月、当時、暴力団を担当する警視庁捜査四課の辣腕刑事だった警部補は、警部補への増収容疑で同様に逮捕された東京・渋谷区のホテル経営会社社長(当時六十一歳)が、多摩市の土地をめぐり、多摩中央署に起こしていた告発事件に、有利な計らいをした謝礼として、同社長から計三回に分けて現金250万円の賄賂を受け取ったという容疑である。
 元警部補は、1999年2月末まで暴力団を担当する警視庁捜査四課で、その告発事件に関わっていたが、調布署地域課に異動となった後、多摩中央署の担当者への働きかけを約束し、会社社長を何度も訪ね、事件の担当者と飲む金が必要だとか、借金を返さなければいけない、ツケのきく店を紹介してほしい、などと金を要求していたのである。

 つまり、なんだかんだいいながら、金をせびっていたのである。いわば“恐喝”である。もうひとつ、再逮捕となった別の恐喝事件も同じような手口だった。
 同じく99年1月ごろ、警部補は、知人の不動産会社社長(当時五十六歳)から、山口組系暴力団幹部に、現金6000万円を要求されていた元会社社員らへの恐喝行為を中止させてほしいと、依頼された。
 そのため、元警部補は、99年2月中旬、加害者側の暴力団幹部と都内のホテルで面会し、恐喝を止めるよう警告した。
「これ以上やると事件になるぞ」
 そういって説得したあと、不動産会社社長から99年2月21日までに、千代宇田区や新宿区内のホテルで、計4回に渡って現金120万円のワイロを受け取ったという疑いだ。
 しかし、その説得が功を奏せず、相変わらず暴力団幹部の恐喝が続いたため、不動産会社社長らは警部補が調布署に異動した直後の99年3月23日、山口組系暴力団幹部らを恐喝で告訴することになった。

 被害届を受けた警視庁捜査二課が、捜索を進めて、99年11月、暴力団幹部ら四人を、別件の恐喝事件で現金1335万円を脅し取った容疑で逮捕した。
 それまで捜査四課で辣腕をふるっていた元警部補が、恐喝被害者などから相談を受けていながら、上司に報告していなかったことなども、捜査過程で判明した。同時に被害者との癒着振りを裏付ける材料を把握したため、本格捜査に着手できず、本庁から調布署へ飛ばされることになったといういきさつもあった。

 で、前出の多摩市の競売妨害事件の贈収賄がさきにはじけて、元警部補が捕まったことから、第二の恐喝事件に絡んだ贈収賄事件の裏付け証拠がとれたのである。
 暴力団担当の敏腕刑事として知られていたこの警部補も、実は、ヤクザや総会や顔負けの「タカリ屋」だったという「裏の顔」が暴露されて、警視庁を揺るがす事件に発展した。捕まえてみれば、かつての仲間の刑事だったという嘘のような本当の話だった。
 「タカリ屋」の元警部補は、逮捕後の3月14日に懲戒免職処分となり、辣腕刑事の断末魔をみた。
 元警部補は、1965年に警視庁に採用となり、入庁している。96年10月に捜査四課に配属され、99年3月に調布署に転出するまで、暴力団捜査専門の道を歩いていた。
 捜査四課時代は、暴力団に怖れられていたほどのコワモテのやり手刑事だったが、警察関係者の間では、反面、派手な“黒い交友関係”が盛んに囁かれていた。だからか同僚に敵も多かったが、ついに、その栄光の姿が消えてしまった。

 この警部補の転落、失脚でほっと胸をなで下ろしている同僚もいるといわれるが、辣腕と犯罪、転落とは、危険な隣り合わせで、紙一重という典型的な事件として語り継がれていくだろう。
 警視庁警務部の幹部は、警官がよからぬことに手を染めた他府県の警察と同様に、また陳謝しなくてはならなかった。
 「警察官にあるまじき行為で誠に遺憾です。都民の信頼を失墜させたことをお詫びしたい」
 その陳謝の口調には、警視庁が長年つちかってきた威光の片りんもなく、弱々しく、虚しかった。元警部補は、さらに桜の季節が終わった4月19日、東京地検八王子支部より収賄罪で追起訴となった。天下の警視庁にも悪徳警官が存在していたのである。
 2001年度の警視庁警察官採用のポスターコピーに、「TOKYO 正義官」とあったが、いまいちど、「正義」の意味を吟味すべきではないか。

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